社会人サッカーのある日曜、目覚ましより先に始まっている自分の朝
社会人サッカーのある日曜、目覚ましが鳴る前に集合案内を開き、バッグを確かめる。 給料にも評価にもならない朝の支度を、私たちはなぜ繰り返すのか。 キックオフ前の選択と、仕事での先回りに重ねながら、自分で選んだ予定へ出かける日常の意味を見つめます。
枕元のスマートフォンを手に取ると、目覚ましが鳴るまで、まだ少し時間がある。
日曜だと分かって、そのままチームの連絡を開く。
会場の変更はない。
集合時刻も、昨夜確かめたままだ。
画面を閉じて、しばらく天井を見る。
もう一度寝ようかと思いながら、玄関に置いたバッグの中を頭の中でたどる。
ユニフォーム、ソックス、すね当て。
そこで、すね当てを入れた記憶だけが少し曖昧になる。
結局、立ち上がってファスナーを開ける。
ちゃんと入っている。
まだ誰からも連絡は来ていないし、家を出る時間でもない。
それでも、自分の日曜はもう動き始めている。
社会人サッカーの朝は、いつ始まるか

社会人サッカーの試合には、キックオフという、みんなで共有する始まりがある。
その少し前には、主審と両チームの代表が集まるコイントスがある。
国際サッカー評議会(IFAB)の競技規則第8条では、コイントスに勝ったチームが、前半に攻めるゴールか、キックオフを行うかを選ぶ。
勝った側が攻めるゴールを選べば、相手がキックオフを行う。
キックオフを選べば、攻めるゴールは相手が選ぶ仕組みだ。
コイントスは、単に先に蹴る側を決めているわけではない。
どちらへ攻めるかという選択も、試合の入口に置かれている。
ピッチに立てば、日差しや風の向きが気になる。
最初のボールを自分たちで持ちたい日もあるだろう。
試合が始まる直前から、すでにその日のサッカーについて考えている。
ただ、そこまでの朝には、競技規則に書かれていない選択がいくつもある。
何時に起きるか。
いつ家を出るか。
待ち合わせまでに何を済ませるか。
起床から会場へ着くまでの時間は、試合の記録には残らない。
それぞれ別の家で準備して、違う道を通り、同じ集合場所へ向かっている。
出発時刻も、交通手段も、朝に済ませる用事もそろっていない。
集合時刻だけが、そのばらばらの朝の先に置かれている。
目覚ましより先に起きたからといって、先発が決まるわけではない。
早く起きた分だけ、ボールがうまく収まる保証もない。
会場に着けば、いつもと同じようにパスをずらすかもしれないし、決めたかったシュートを外すこともある。
それでも玄関のバッグを持っていく。
今日の出来が分かるより前に、行くことを選んでいる。
もちろん、目覚ましが鳴ってから起きる日もある。
ぎりぎりまで布団にいて、慌てて支度する朝だってあるだろう。
ここで気になるのは、起きた時刻の早さではない。
まだ試合も始まっていない時間に、頭の中では、すでに今日のパスや顔を合わせる相手のことを考えている。
休みの日の予定が、面倒な準備も含めて、自分の中に場所を取っている。
いまバッグを開けている人は、そのことをわざわざ言葉にしない。
忘れ物がないか見ているだけだからだ。
誰にも見られない準備は、何になるか

平日の打ち合わせで、自分が説明する資料を開く前に、相手が前回どこで迷っていたかを確認することがある。
完成した資料だけなら、先に送ってある。
それでも、聞かれそうなところへ戻り、必要な画面をすぐ出せるようにしておく。
打ち合わせが始まってから、その準備について話すことはあまりない。
質問されたときに、話を止めずに答えるための時間だ。
サッカーでも、パスが出てから動き始めると、受ける場所が狭くなることがある。
ボールが別の味方にあるうちに、少し横へずれる。
自分に渡ってこなくても、その位置を取ったまま次の動きを見る。
実際にボールへ触る場面の手前に、外からは数えにくい仕事がある。
日曜の朝に集合時刻を確かめたり、荷物を入れ直したりするのも、まだ来ていない場面へ先に動いている時間に似ている。
準備そのものを見せるために、バッグの中を撮影してチームへ送るわけではない。
会場で、必要なものを普通に取り出せれば、それで終わる。
日曜の支度には、仕事のような給与明細も、人事評価の欄もない。
玄関で靴を履いていた時間を、誰かが後から集計することもないだろう。
それなのに、連絡を確かめ、忘れ物を探し、出発する。
「好きだから」で済む話なのかもしれない。
けれど、その短い言葉の中には、着替えることも、移動することも、時間を合わせることも入っている。
好きな気持ちだけを持って、ピッチへ瞬間移動できるわけではない。
その間にある細かな動きを、今朝も自分で引き受けている。
いつからこんな朝が、特に説明する必要のないものになったのだろう。
目覚ましより先に起きた日は、時間が余っているはずなのに、支度が早く終わるとは限らない。
「今日は余裕がある」と思って、ユニフォームを入れたバッグをもう一度開ける。
天気を見たあと、集合案内も読み直す。
気づけばいつもの出発時刻で、玄関では結局、鍵を探している。
しかも、念入りに確認したすね当てはちゃんとあるのに、出ようとした瞬間、充電器につないだままのスマートフォンに気づく。
余裕のあった朝が、最後だけいつもの速さになる。
そういう支度に、拍手は起きない。
会場で「おはよう」と言われても、目覚ましより先に起きた話まではしないことが多い。
相手も、さっきまで別の玄関で靴を履いていた人だ。
ひと言あいさつを返したら、荷物を下ろして、その日の準備に加わる。
起床してからここまでの時間は、そこでいったん話の外へ置かれる。
けれど、自分には分かっている。
今日は会社へ行くためでも、頼まれた用事を済ませるためでもなく、この予定へ向かって家を出た。
楽しみな試合もあれば、難しそうな試合もある。
必ず気持ちよく帰れると分かっているわけでもない。
その先がまだ決まっていない日曜へ、ユニフォームを持ってきた。
今朝、目覚ましを止めた手で選んだ予定は、誰のものだっただろう。
これは、日曜の朝に起きて出かけることが、自分で選んだ予定を暮らしの中で実行しているということだ。
今日は、次の試合の集合時刻を一度だけ見てみる。
試合の日、家を出る前に必ず確認するものは何ですか。
朝の集合でいつも顔を合わせる仲間にも、この記事を。
次の週末の予定は、Pullawayの試合日程から。
PULLAWAY