社会人サッカーと家族、日曜の「行ける」までに交わしている言葉
社会人サッカーと家族の予定を合わせるとき、出欠表には残らない会話がある。 帰宅時間を伝え、相手の予定を聞き、自分の出たい気持ちも言葉にする。 追加時間の決まりや試合後の立ち話を入口に、日曜の「参加」という返事の手前で、すでに行っている調整を見つめます。
夕食の片づけが終わって、家族と来週の予定を話している。
スマートフォンには、チームから届いた日曜の試合案内が開いたままだ。
「この日、サッカーに行きたいんやけど」と口にして、返事を待つ。
「何時に帰ってくる?」
会場と集合時間はすぐ言えたのに、帰る時間で少し止まる。
試合が終わったら帰るつもりだった。
けれど、それだけでは、聞いた側の予定はまだ決まらない。
画面を切り替えて、帰りの道を調べる。
さっきまで自分が出場できるかを考えていた予定が、ここから、家で過ごす人の予定とつながり始める。
社会人サッカーと家族、何を相談するか

社会人サッカーと家族の予定を合わせるとき、「試合がある」という言葉だけで共有できることは、案外少ない。
行く側の頭の中には、集合、着替え、準備、試合、片づけ、帰り道が入っている。
家で聞いた側に届いているのは、日曜日にサッカーへ出かける、ということだけかもしれない。
「何時に帰る?」は、参加を止めるための質問とは限らない。
そのあとに外出できるのか、一緒に用事を済ませられるのか。
自分の予定を置くために、時間を知りたい場合もある。
サッカーには、終了時刻を少し説明しにくくする決まりもある。
国際サッカー評議会(IFAB)の競技規則第7条では、第4の審判員が示す追加時間は「最小限」の時間とされている。
主審は、その追加時間を増やすことはできるが、減らすことはできない。
中継で掲げられる数字は、残り時間が必ずそこで尽きるという約束ではないのだ。
これは、自分たちの試合に第4の審判員がいるかどうかとは別に、サッカーの時間を理解するための豆知識になる。
もちろん、帰宅が遅くなる理由を競技規則に預ける話ではない。
試合終了から家の玄関までには、規則に書かれていない時間が残っている。
借りた道具を返す時間や、会場を出るまでの時間は、試合時間には含まれない。
家族が知りたいのは、笛が鳴る時刻より、自分の次の予定を始められる時刻なのだろう。
まだ分からないことがあれば、「会場を出るときに連絡する」と決めることもできる。
きっちり言い切れない時間を、きっちり言い切ったふりはしない。
そうすると、相談の中身は「行っていいか」から「その日をどう組むか」へ少し変わる。
家族の側にも、出かけたい場所や、ひとりで済ませたい用事がある。
こちらが試合案内を見せたあとに、その予定を聞く時間が続く。
サッカーの予定がカレンダーに入っただけでは、話し合いはまだ途中なのかもしれない。
「行ける」の返事までにあるもの

職場で、同僚から「午後、外に出ます」と聞く。
それだけでは、午後に確認が必要な仕事を、いつ渡せばいいか分からない。
出発前なら見られるのか、戻ってからになるのか。
「この資料は出る前に確認する」とひと言添わると、こちらも作業の順番を決められる。
不在になる人の予定が分かっただけで、残る人の予定まで決まるわけではない。
ピッチで、味方が前へ上がる場面に少し似ている。
走り出した背中を見てから、空いた場所へ慌てて寄ることもある。
けれど、先に目が合って「ここ、頼む」と声があれば、残る選手は位置を変えておける。
前へ行くことを遠慮しているのではなく、前へ行ったあとのことを一緒に見ている。
日曜の相談でも、家を出る人だけの予定表では足りない日がある。
家族に頼むことがあるなら、その内容も言葉にする。
反対に、家族が出かける時間には、自分が家にいる予定を置くこともあるだろう。
それぞれが動ける場所を、少しずつ確かめている。
ただ、家庭の相談は、守る人を決めれば成立するフォーメーションほど単純ではない。
予定が変わることも、話してみて初めて分かる事情もある。
今週は参加を見送るという答えになる場合だってある。
その一度を、サッカーへの気持ちが弱くなった証拠にしなくてもいいのではないだろうか。
行けない週に事情を伝えておくことも、次に行ける日の話をすることも、同じ暮らしの中で起きている。
毎回同じ答えを出すためではなく、その週の答えを出すために相談しているのだから。
出欠表には「参加」としか表示されない。
その短い返事を送るまでに、家の予定を見直したり、まだ決まっていない用事を確かめたりしている。
チームメイトの名前の横にも、自分には見えない会話があったのかもしれない。
試合のあと、スパイクのひもをほどきながら「今日はすぐ帰るわ」と言う。
ところが、誰かがさっきのプレーについて話し始める。
「あれ、逆サイド見えてた?」
その質問だけは聞き流せず、片方のスパイクを脱いだ姿勢のまま、説明が長くなる。
早く帰ると言った人ほど、帰りの立ち話で自分のパスの意図を丁寧に解説している。
家族には「もう終わった」と送ったのに、まだ会場から一歩も出ていない。
自分の中の「終わった」は、試合の終了。
受け取った人は、もう帰り道にいると思ったかもしれない。
次から「今、会場を出た」と送るようになった人もいるのではないだろうか。
伝える言葉が少し変わっただけで、待つ側が想像する景色も変わる。
日曜を空けてもらう相談には、自分の好きなことを、自分の言葉で伝える時間も含まれている。
仕事の予定なら説明できるのに、「この試合に出たい」は、少し言い出しにくいことがある。
頼まれた仕事でも、外せない義務でもないからだろうか。
それでも、出たいと伝える。
同時に、相手の「この日はこう過ごしたい」も聞く。
どちらかの予定を小さく扱わずに、同じカレンダーに並べる。
サッカーが好きだという話を、暮らしの外に追い出さずに済む相手がいる。
そして、家族の好きなことにも、こちらが時間を空ける日がある。
試合に向かう自分は、そのやり取りを全部思い出しているわけではない。
ただ、帰ったあとの予定を覚えていて、駐車場で始まりそうな次の話に「また今度な」と手を振る。
それも、その日のサッカーに出かける前に、自分で決めたことだ。
これは、自分のサッカーと家族の時間を、同じ暮らしの中に置き続けるということだ。
今日は、次の試合の帰宅予定をカレンダーにひと言添えてみる。
家族に帰る時間を伝えるとき、どんな言い方をしていますか。
日曜の予定を一緒に考える人にも、この記事を。
次の予定を確かめるなら、Pullawayの試合日程から。
PULLAWAY